大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)9753号 判決 1990年5月25日
原告
奥田繁市
被告
伊藤美喜夫
ほか一名
主文
一 反訴被告らは、反訴原告に対し、各自金一二六万八七八七円及びうち金一一四万八七八七円に対する昭和六一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 反訴原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その一を反訴被告らの連帯負担とし、その余を反訴原告の負担とする。
四 この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
反訴被告らは、反訴原告に対し、各自金一四七七万三二五二円及びうち金一三四七万三二五二円に対する昭和六一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、道路を横断中に原動機付自転車に衝突されて負傷した歩行者が、運転者及びその使用者に対して損害賠償を請求した事件である。
一 争いのない事実
1 本件事故の発生
次の交通事故が発生した(以下「本件事故」という。)。
(一) 日時 昭和六一年二月一七日午後六時三〇分頃
(二) 場所 大阪府東大阪市菱屋東二丁目一六番一号先府道八尾茨木線路上(以下「本件事故現場」という。)
(三) 加害車 原動機付自転車(大阪市東成い八八〇〇号)
右運転者 反訴被告伊藤美喜夫(以下「反訴被告伊藤」という。)
(四) 態様 反訴原告が、本件事故現場において、交通渋滞のため停止中の車両の間を通つて本件道路を北から南に横断しようとしたところ、西から東に向かつて進行中の加害者が反訴原告に衝突し、路上に転倒させた。
2 責任原因
(一) 反訴被告伊藤(自賠法三条、民法七〇九条)
反訴被告伊藤は、本件事故当時、加害車を保有し、これを自己の運行の用に供していたものであり、また、前方不注視の過失により本件事故を起こしたものである。
(二) 反訴被告奥須賀昭剛(民法七一五条)
本件事故は、反訴被告伊藤の前方不注視の過失によつて発生したものであるところ、反訴被告伊藤は、本件事故当時、反訴被告奥須賀昭剛により雇用され、本件事故は、その業務の執行中に生じたものである。
3 受傷の状況及び治療の経過
(一) 反訴原告は、本件事故により、頭部外傷Ⅰ型、頸椎捻挫、腰椎捻挫等の傷害を受け、喜馬病院において、次のとおり治療を受けた。
(1) 昭和六一年二月一七日から同年四月一七日まで入院(六〇日間)
(2) 昭和六一年四月一八日から昭和六二年四月二〇日まで通院
(二) 反訴原告は、昭和六二年四月二〇日、頭部、頸部、腰部等に神経症状を残して症状が固定したと診断され、右後遺障害については、自動車保険料率算定損害調査事務所により、自賠法施行令二条別表後遺障害等級表(以下「後遺障害別等級表」という。)一四級一〇号に該当するとの認定を受けた。
二 争点
反訴被告らは、損害額を争うほか、以下のとおり主張している。
1 症状固定時期、相当な休業期間
反訴原告の症状は、主治医の回答によれば、昭和六一年五月中旬頃には就労可能な状態にまで軽快し、昭和六一年七月一六日頃には治癒もしくは症状の固定の状態に至つたものというべきである。
2 後遺障害の程度
反訴原告に後遺障害が認められるにしても、それはせいぜい後遺障害別等級表一四級一〇号に該当する程度に過ぎない(反訴原告は、同表の一二級一二号に該当する旨主張している。)。
3 素因による寄与度減額
反訴原告には、頸椎及び腰椎に加齢的な退行変性である骨棘等があり、これが反訴原告の症状の発生及び治療の長期化等に寄与している。
また、反訴原告は、本件事故前から、かなり重症な糖尿病に罹患していたものであり、糖尿病による全身倦怠、頭痛、身体各所の痛み、不定愁訴の自覚症状は、鞭打ち症の症状と区別がつかないほど多彩かつ深刻なものである。
右のような退行変性及び糖尿病が反訴原告の訴える症状に大きく寄与していたものであるから、民法七二二条二項を類推適用して、反訴原告の損害額から五〇パーセント以上減額すべきである。
4 過失相殺
本件事故は、反訴原告が幹線道路を横断するに当たり、左右の安全を十分に確認しないまま渋滞停止中の車両の陰から加害車の進路前方に急に飛び出したため、発生したものである。
したがつて、過失割合を反訴原告四〇パーセント、反訴被告伊藤六〇パーセントとして過失相殺すべきである。
第三争点に対する判断
一 症状固定時期
1 症状の推移、治療の経過等
前記争いのない事実に、証拠(甲五、六、八ないし一七の各一、二、乙一、喜馬通証言)を総合すれば、次の事実を認めることができる(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は、当該事実の認定に特に用いた証拠である。)
(一) 反訴原告(昭和一九年三月一五日生まれ、本件事故当時満四一歳)は、本件事故後、喜馬病院に救急搬送され、そこで頭部外傷Ⅰ型、顔面挫創、右大腿挫傷(血腫)、左肘挫傷(血腫)、左胸部打撲等と診断され、挫創等の手当てを受けた後、同日から同病院に入院したが、当日行われた頭部、右大腿部、左肘部、両股部、胸部のレントゲン写真撮影の結果では、特段の異常は認められなかつた。
反訴原告は、当初は、主として大腿部及び左胸部の痛みを訴えていたが、頭痛、嘔気、眩暈等の訴えはなく、初診時の所見では、意識・血圧正常、腱反射・瞳孔反射正常、知覚障害なし、頸部運動制限なしとされていた。しかし、反訴原告は、翌二月一八日になつて、頭痛、頸部痛、腰部痛を訴え(頭痛については入院当日の夜から始まつたと訴えた。)、腰椎、頸椎のレントゲン検査も行われ、同月一九日には、頭部CTスキヤンの検査が行われたが、頭部について異常は認められなかつた。なお、警察に提出するために作成された同月一八日付けの診断書には、二週間の安静加療を要する旨の記載がなされた。
(甲六、喜馬証言一、二丁)
(二) 反訴原告の受傷のうち、顔面挫創、左肘挫傷はすぐに軽快し、いずれも同月二五日に治癒したとされ、左胸部打撲も次第に軽快し、同年四月二〇日、治療が中止された。右大腿部挫傷については、痛みが強く、しばらく松葉杖で歩行するほどであつたが、その後、次第に軽快し、同年三月下旬には、重くだるいと感じといつた程度にまで回復し、以後この部位についての特訴はなく、四月には治癒と診断された(ただし、その後、同年五月八日及び同年九月二二日に右大腿部痛を、同年六月二三日に右大腿前面に電気が走る感じを訴えたり、同年八月一六日から同年一〇月六日頃までの間に、ときどき両大腿前面の痺れを訴えていた。)。
しかしながら、頸部痛、腰部痛、頭痛ないしは頭重感は持続し、同年二月二五日には左手指の痺れを、同年三月一一日からはときどき左側の耳鳴りがあると訴えていた。しかし、全体的な症状としては相当程度回復し、同年四月初めからときどき外泊も許可されるようになり、同月一七日、退院するに至つた(入院六〇日間)。
(甲六、喜馬証言二ないし六丁)
(三) 反訴原告は、右退院後の昭和六一年四月一八日から頻繁に通院したが、その訴える症状は、腰痛及び頸部痛が中心であり、投薬、湿布、牽引、運動療法等の治療を受け、その治療内容は、通院期間中、ほとんど変化はなかつた(なお、同年一〇月六日に行われたジヤクソン、スパーリング、イートンの各テスト結果はいずれもマイナスであつた。)。また、反訴被告ら代理人が反訴原告の症状について照会したところ、同病院の喜馬通医師は、同年五月二六日、反訴原告については、なお二ないし三か月間の加療が必要であるが、不動産会社の会社員として全く就業できないというような状況ではない旨の回答をした。また、昭和六一年五月末頃、保険会社により反訴原告の動向調査が行われたが、調査担当者により、反訴原告は、当時、自転車で通院し(所要時間一〇ないし二〇分)、外見上、一般通常人と変わりないように見受けられたと報告されている。
反訴原告は、同年四月には一〇日間、同年五月から同年九月までは一か月当たり二三ないし二七日間通院したが、同年一〇月になると通院は一七日間に、さらに一一月以降は三ないし五日間に減り、昭和六二年一月一二日から通院しなくなつたため、喜馬病院では治療中止扱いとした。
しかしながら、反訴原告は、同年三月三〇日から再び通院を開始し、同年四月二〇日、同病院の喜馬通医師により、症状固定の診断がなされた(それまでの実通院日数一六九日)。
(甲二の二、甲五、六、一〇ないし一七の各一、喜馬証言六、八、九丁)
(四) 右症状固定の診断のなされた当時(診療録の記載によれば、実質的には同年四月二日と考えられる。)、反訴原告は、自覚症状として、(1)頭痛、頭重、頸部痛があり、特に天気の悪い日に辛い、耳鳴り(特に左)、眼がボーッとかすむ、右手の感覚が鈍く、右手が痺れる、(2)腰痛が続き、少し座つていても辛抱ができなくなると訴え、他覚的所見及び検査結果として、頸椎四ないし六番の椎間異常、腰椎四、五番間の軽度の異常、脳波所見で余波混入、頸椎の可動域制限、両大後頭神経・両頸腕神経叢の圧痛が認められ、また、サーモグラフイ検査上、両上腕、左下腿等に皮膚温低下が認められるとされ、障害内容の増悪・緩解の見通し等として「既に長期加療後であり、もはや緩解は考えられない。」と診断された。そして、喜馬医師は、これらの他覚的所見は頸椎捻挫及び腰椎捻挫の後遺障害の症状を裏付けるものであり、反訴原告の後遺障害の程度は頑固な神経症状に該当すると判断している。
(甲六、乙六、喜馬証言一五ないし一九丁)
(五) ところで、反訴原告は、本件事故にあう前の年から糖尿病の治療を受ていたが、喜馬病院でも入院時に糖尿病を指摘され、本件受傷の治療に併せて、糖尿病治療のための薬剤投与及び食事療法の治療を受けた。喜馬医師は、反訴原告の糖尿病は相当重いもので、それに基づく神経症状等が頸椎捻挫及び腰椎捻挫の症状と混在しあるいはその影響により頸椎捻挫等の治療が長期化したものということができ(糖尿病を度外視すれば、反訴原告の症状は昭和六一年七月頃症状固定になつていたと判断している。)、さらに後遺障害についてもある程度寄与しているものと推測している。
また、反訴原告には、前記のとおり、頸椎及び腰椎に異常(変性)が認められたが、同医師は、右のうち、頸椎については、本件事故の影響で頸椎椎間板が次第に弱くなり、その結果、並び方が変化したものであり、腰椎については、もともと骨変化があつたところに本件事故の影響が出たものと推測し、いずれについても、糖尿病の影響を否定できないとしている。
(甲六、乙六、喜馬証言一三ないし一五丁、一九ないし二二丁、二四丁)
2 症状固定時期
(一) 右認定事実に、鑑定人鈴木隆の鑑定の結果(以下「本件鑑定」という。)及び鈴木隆証言を併せ考慮すると、反訴原告の前記受傷が治癒した時期ないしはその症状固定の時期は次のとおりと認められる。
(1) 頭部外傷Ⅰ型
初診時の所見、CT検査の結果に、その後も脳挫傷を窺わせるような所見が見られないことを考慮すると、短期間のうちにほぼ痕跡なく治癒したものと認められる。
(2) 顔面挫創、左肘挫傷
顔面挫創は軽度の負傷で受傷後約一週間で治癒したものであり、左肘挫傷は、血腫ができていたことを考慮に入れると、約三週間程度で治癒したものと認めることができる。
(3) 左胸部挫傷
重症ではなく、昭和六一年四月二〇日頃には治癒していたものと認めることができる。
(4) 右大腿挫傷
本件事故により、相当程度の打撲があつたものと推認できるが、その症状は次第に軽快し、受傷後約二か月程度で治癒したものと認めることができる。
(5) 頸椎捻挫
反訴原告の受傷した頸椎捻挫は、単に軟部組織が損傷されたものに過ぎず、器質的な変化をもたらすようなものではなかつたと認められる。反訴原告には、神経根症状と考えられる左手指の痺れ等の症状も出現したが、その訴えの程度、前記のとおりジヤクソンテスト等の神経学的な検査結果が陰性であつたこと等に照らすと、その神経根症状は軽度であつたと考えられ、また、軟部組織の損傷に伴う頸部痛(なお、頸部の可動域の制限は疼痛によるものと推認できる。)とともに、頭痛、頭重感、耳鳴り等のバレ・リユー症状と考えられる症状(なお、反訴原告は、前記症状固定の診断時に眼がかすむと訴えているが、診療録上、それまでにそのような訴えをした形跡は窺えず、本件事故との因果関係は認め難いというべきである。)が発現したものと認められる。
ところで、反訴原告の頸椎には、レントゲン所見上、加齢性の軽度の変性が認められるが、特に異常といえるほどのものではなく、また、本件事故によるものと認めることもできない(前記喜馬医師の所見は採用しない。)。しかしながら、手の痺れを除く前記バレ・リユー症状については、糖尿病性の自律神経障害でも似たような症状が出現することがあり、これが反訴原告の訴える頸椎捻挫に起因する症状に混在し、あるいはその症状を増強している可能性を否定することができないというべきである。
このように、反訴原告の頸椎捻挫の症状には、糖尿病に伴う症状が混在しあるいはこれが寄与している可能性が大であるが、これらの点を含めて考慮しても、反訴原告の前記諸症状は、その症状の推移、一般的に軟部組織の損傷は三週間程度である程度修復され、六週間程度でだいたい治癒すること、バレ・リユー症状はだいたい三か月程度で落ち着くとされていることなどに照らし、遅くとも昭和六一年六月中旬頃には症状固定の状態になつていたものと推認するのが相当である。
(6) 腰椎捻挫
反訴原告は、本件受傷後、腰部の痛みを訴えていたほか、下肢の痺れ等を訴え、SLRのテスト(下肢挙上テスト)でも反応が見られたことから、神経根症状が生じていたと認めることができる。
ところで、反訴原告には、レントゲン所見上、腰椎四番、五番の間の椎間狭小化及び骨棘形成が認められたが、これは受傷直後から見られるものであること及び骨棘形成、椎体の変形等の退行変性が見られることなどから、反訴原告がもともと有していた素因であると認められる(これに反する前記喜馬医師の所見は採用しない。)。そして、反訴原告の場合、もともと右変性があつて弱くなつていた部分に衝撃が加わつたため、腰椎捻挫に起因する神経根症状が発現し、また、治療が長期化した可能性が高く、さらに、糖尿病が基礎疾患として存在するため、症状が増強しあるいは長期化した可能性も否定できないと考えられる。
このように、反訴原告の腰椎捻挫及びこれに伴う症状の発現、症状の増強及び長期化に、受傷前から存する起因(腰椎の変性、糖尿病)が寄与していた可能性が大であるが、腰部に関する前記諸症状は、前記SLRテストの結果、症状の推移等に照らし、遅くとも昭和六一年八月末頃には、症状が固定していたものと推認するのが相当である。
(二) 以上のとおり、反訴原告が本件事故により被つた各傷害及びそれに伴う症状は、順次治癒ないし軽快し、症状固定に至つたものであり、これらを全体としてみれば、反訴原告の症状は、昭和六一年八月末頃に固定したものと認めるのが相当である。
3 後遺障害の程度
前記認定、説示したことに、本件鑑定及び鈴木証言を併せ考慮すると、本件事故後、反訴原告に見られた症状は、他覚的所見の乏しい自覚症状を中心とするものであつたというべきである。前記のとおり、喜馬医師によつて症状固定の診断がなされた際、脳波に異常所見が見られたとされるが、本件事故による頭部外傷、頸椎捻挫の程度、本件事故後、一年以上経過してから認められたことからすると、本件後遺障害の他覚的所見として考慮することは相当でないというべきである。また、サーモグラフイー上、左下腿等に皮膚温低下の異常所見があるとされるが、一般的に皮膚温低下は神経症状のある患肢に出現するものとされるところ、右検査では左下腿に出現しており、反訴原告が訴える部位及びSLRテストの結果とも異なり、本件事故との関連性を認めるに十分ではない。さらに、喜馬医師の指摘する頸椎及び腰椎の変性についても、前記のとおり、本件事故前に存在していた反訴原告の素因と考えられ、本件後遺障害の存在及び程度を直接裏付ける他覚的所見とも言い難いというべきである。
以上の点に、反訴原告の訴える自覚症状の内容及び程度、症状の推移(特に、前記症状固定の診断時に反訴原告の訴えた自覚症状は、通院を中止してから二か月半以上経過してからのものであるにもかかわらず、それまでに訴えていた愁訴よりも多彩かつ重くなつていて、症状の経過として不自然であり、相当割り引いて考慮するのが相当である。)等を併せ考えると、前記認定の症状固定時(昭和六一年八月末頃)の症状は、後遺障害別等級表一四級一〇号(「局部に神経症状を残すもの」)を超えるものではないというべきである。これに反する前記喜馬医師の所見は、本件鑑定及び鈴木証言に照らし採用することができない。
二 損害
前記一で認定した事実を前提として、以下、反訴原告の被つた損害について検討する。
1 治療費(請求額一二四万七〇九〇円)
反訴原告の喜馬病院における前記受傷の治療に合計一二四万七〇九〇円を要したことは当事者間に争いがないところ、このうちの昭和六一年九月一日以降の治療費は、前記認定の症状固定日以後のものであり、その治療に症状軽減等の効果が特にあつたと認めうるような証拠は存しない。
したがつて、証拠(甲八ないし一七の各二)によれば、昭和六一年八月三一日までの治療費合計一一三万七三五〇円が本件事故と相当因果関係のある治療費相当の損害というべきであるが、ただ、昭和六二年三月一日から同年四月二〇日までの間の治療費二万六八九〇円は、そのほとんどが後遺障害の診断のための諸検査料及び診断書料であると認められ、これも相当損害に含めるのが相当である。
2 入院雑費 七万八〇〇〇円
反訴原告が喜馬病院に入院した六〇日間について、一日当たり一三〇〇円の雑費を要したものと推認することができる。
3 休業損害(請求額七四四万八五四九円) 二〇一万四二〇〇円
(一) 証拠(甲三の一、二、乙三、九、池本均証言、反訴原告本人)によれば、反訴原告は、本件事故当時、土木建築請負、宅地建物取引等を業とする山地興産株式会社に土木建築営業員及び不動産取引主任者として勤務(肩書は取締役常務)し、昭和六〇年七月から昭和六一年二月までの八か月間に三二二万二七五〇円の収入(給与分二七四万五〇〇〇円、賞与分四七万七七五〇円。各月の通勤費は除く。)を得ていたところ、本件事故後、昭和六一年一二月二五日頃まで休業したことが認められる。
(二) ところで、反訴原告は、本件事故当時、喫茶店を経営して一日当たり七六六三円の収入があつたところ、前記受傷により、食品材料の仕入れ、売上金の集計等の仕事ができなくなり、妻が代わりに行つているので、少なくとも妻の代替労働分は損害として認められるべきであると主張する。
しかしながら、証拠(乙二、七、反訴原告9、10、17、34~39項)によれば、反訴原告が喫茶店を二店経営し(ただし、税金申告は一店についてのみ)、収益をあげていたことは認められるが、いずれも従業員を二名ずつ雇つて営業していたものであり、前記山地興産株式会社における仕事の内容、勤務状況(一か月で一八日しか出動しない月もあつたが、だいたい二三ないし二六日出勤していた。)等に照らし、反訴原告がどの程度現実に仕入れ等の仕事をしていたか疑問があること、本件事故後妻で手伝うようになつたとしても、それによつて反訴原告が損害を被つたことを窺わせる資料はないこと等を考慮すると、喫茶店営業に関し、反訴原告の損害を認めることはできないというべきである。
(三) 以上によれば、反訴原告の休業損害算定の基礎とすべき収入は、一日当たり一万三四二八円(円未満切捨て。以下、同じ)であると認められるところ、前記一2のとおり、反訴原告の症状固定時期は昭和六一年八月三一日頃とすべきであり、また、前記受傷内容及び程度、症状の推移、喜馬医師の所見等に照らすと、反訴原告は、同年六月一日頃からは就労が一応可能となつていたものというべきであり、これに前記反訴原告の自覚症状、治療状況等を併せ考慮すると、反訴原告は、同日頃から右症状固定時期までの間、平均して、その就労能力の五〇パーセント程度を制限されていたものと認めるのが相当である。
したがつて、反訴原告が本件事故により被つた休業損害として請求しうべき相当損害は、次のとおり二〇一万四二〇〇円と認められる。
(算式)
13,428×104=1,396,512 <1>
13,428×92×0.5=617,688 <2>
<1>+<2>=2,014,200
4 逸失利益(請求額四二七万九六四三円) 四五万六一五六円
前認定のとおり、反訴原告の後遺障害は、後遺障害別等級表一四級一〇号に該当するというべきところ、その症状の内容、症状の推移、特に反訴原告の症状は、自覚症状の程度に比して他覚的所見の乏しい神経症状であること等を考慮すると、反訴原告は、右後遺障害により、症状固定となつた頃から二年間にわたり、その労働能力を五パーセント程度喪失したものと推認するのが相当である。
そこで、前記収入額を算定の基礎とし、ホフマン式計算方法により中間利息を控除して反訴原告の逸失利益の本件事故当時の現価を算出すると、次のとおり四五万六一五六円となる。
(13,428×365)×0.05×1.8614=456,156
5 慰謝料(請求額二九九万円) 一六〇万円
以上認定の諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて反訴原告が受けた肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては、傷害(入通院)分、後遺障害分を合わせて一六〇万円とするのが相当である。
(以上合計 五三一万二五九六円)
三 寄与度減額
前認定のとおり、反訴原告には本件事故前から存した腰椎の退行変性及び糖尿病という素因があり、これが反訴原告の頸椎捻挫および腰椎捻挫の症状の増強、治療の長期化、後遺障害の残存に寄与していたものと認められる(なお、糖尿病に基づく神経症状が頸椎捻挫等の症状と混在している可能性もある。)ところ、反訴被告らは、このことを理由として、損害額から寄与度に応じて減額すべきである旨主張する。
しかしながら、本件のような加齢性の身体的素因や既往症があつて、それが損害の発生、拡大に寄与していたとしても、そもそも被害者は一定の年齢差や個体差を有するものであり、また、往々にして既往症を有していて、その影響で呈する症状や治療期間を区々にすることは避け難いというべきであつて、被害者の素因が損害の発生、拡大に寄与したとしても、当該被害者に医学的見地から特異な症状の発現を見ているとか、治療期間が異常に長期化しているとかの特段の事情があり、損害の公平な分担を図るうえで減額することを相当とされるような場合は除き、原則として、素因の寄与を理由として損害額を減額することは相当でないと考えられる。
これを本件について見るに、反訴原告の受傷の内容、程度、症状の推移、症状固定時期並びに素因の内容及び程度等は前記認定のとおりであり、本件において、前記のような特段の事情はいまだ窺われないというべきであり、したがつて、本件において、素因の寄与を考慮して損害額を減額しなければ損害の公平な分担が図られないということはできないと認められる。この点に関する反訴被告らの主張は採用することができない。
四 過失相殺
1 前記第二の一の争いのない事実に、証拠(甲一、四、乙七(後記信用しない部分を除く。)、乙八、検乙一ないし四、反訴被告伊藤本人、反訴原告本人(後記信用しない部分を除く。))及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 本件事故現場付近の状況は、別紙図面記載のとおりである。
本件道路は、最高速度が時速四〇キロメートルに制限され、追越しのための右側部分はみ出し通行禁止とされていた。また、同図面記載のとおり、本件道路は、ほぼ直線となつており、反訴被告伊藤からの前方、左右の見通しは良好であつた。なお、本件事故現場から東に約五〇メートル離れたところに信号機の設置された交差点(以下「東側交差点」という。)がある。
本件事故当時の天候は曇りで、路面は乾燥しており、また、既に暗くなつており、加害車をはじめ、走行する車両はライトを点けていた。
(甲一、四、検乙一ないし四)
(二) 反訴被告伊藤は、加害車を運転し、本件事故現場の西側にある交差点を右折して本件道路に進入したが、当時、東行車線は、信号待ちのため東側交差点手前から車両が連続して渋滞、停止中であつた(西行車線を走行する車両はなかつた。)。反訴被告伊藤は、急いでいたこともあつて、これらの車両の右側を通行して前方に出ようと考え、時速約三〇キロメートルの速度でセンターライン内側付近を進行していたところ、大型トラツク(図面)の右側を進行中の<2>付近において、前方約五・五メートルの道路中央付近に反訴原告が出てきたのを認め、直ちに急ブレーキをかけたが及ばず、<×>付近で加害車前部(ハンドル左付近及び泥除け付近)を反訴原告の右下腿付近に衝突させ、反訴原告は前方に跳ね飛ばされて路上に転倒し、加害車も転倒した。
(甲一、四、反訴原告1~5項、反訴被告伊藤3、4、10~18、23~50、55項)
(三) 反訴原告は、本件道路北側にある側道(「至荒本方面」とある道路)を南下して本件道路に至り、これを横断してさらに南に行くところであつたが、前記のとおり東行車線が渋滞し、西行車線のほうは進行する車両がほとんどなかつたことから、本件事故現場付近で本件道路を横断しようと考え、前記大型トラツク()の前方を通つて道路中央線付近にきたときに加害車に衝突された。反訴原告は、道路中央線付近に出る前に左方は見たが、右方の確認はせず、衝突されるまで加害車には気がつかなかつた。
(甲一、乙七、反訴原告1~6、19項)
2 以上の事実が認められるところ、反訴原告は、加害車は、時速四〇キロメートルを超える速度でセンターラインを超えて西行車線にはみ出して進行中、西行車線内において反訴原告と衝突したと主張し、乙七号証(反訴原告作成の陳述書)中及び反訴原告本人尋問の結果中には、これに副う記載部分ないし供述部分が存する。
しかしながら、甲一号証(実況見分調書)、四号証(反訴被告伊藤作成の陳述書)及び反訴被告伊藤本人尋問の結果によれば、反訴被告伊藤は、事故直後行われた実況見分当時から終始センターラインの内側を走行していたと述べ、前記認定の道路状況、加害車の幅(甲一号証によれば、約〇・六四メートル)を考慮しても、そのことが特段不可能ないし困難ともいえないこと、反訴原告は、道路の状況を十分確認しないまま横断を開始したものであること等に照らすと、反訴被告伊藤の述べるところと対比して、前記記載部分ないし供述部分は直ちに信用し難いものであり、前記認定を左右するに足りないというべきである。
3(一) 右認定の事実によれば、反訴被告伊藤は、渋滞停止中の車両の右側を進行していたのであるから、車両の陰から道路を横断しようとする者があることを予測し、前方の安全を十分に確認し、かつ、安全な速度で進行すべきであつたところ、これを怠り、漫然と時速約三〇キロメートルの速度で進行して本件事故を発生させたものであり、その落ち度は大きいというべきである。
他方、反訴原告としても、道路を横断するに当たつては、左右の安全を十分確認して横断を開始すべき注意義務があつたところ、右方の安全を確認しないまま、道路センターライン付近に出たため、本件事故に至つたものであるから、反訴原告にも過失があるといわなければならない。
(二) 双方の過失の程度、前記認定の諸般の事情を考慮すると、双方の過失割合は、反訴原告三〇パーセント、反訴被告伊藤七〇パーセントとするのが相当である。
そこで、前記損害額合計五三一万二五九六円から三〇パーセントを減ずると三七一万八八一七円となり、これが、反訴原告が反訴被告らに請求しうべき損害額となる。
五 損害の填補
1 反訴原告が、本件事故の損害賠償として、次のとおり合計二五七万〇〇三〇円の支払いを受けたことは当事者間に争いがない。
(一) 治療費として一一六万〇〇三〇円
(二) 反訴被告らから六六万円
(三) 自賠責保険から七五万円
2 右の金員を控除すると、反訴被告らが反訴原告に対して賠償すべき残損害額は、一一四万八七八七円となる。
六 弁護士費用(請求額一三〇万円)
本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、一二万円と認めるのが相当である。
(裁判官 二本松利忠)
別紙 <省略>